kaichosanの日記

97~07年まで元Zaurusユーザーだった、フリーランスで流浪してる映像編集マンの雑多な日記です

 20日放送 テレメンタリー2001について

 皆さん、ドキュメンタリー番組の「テレメンタリー2001『奪われた夢 〜小学校乱入殺傷事件〜』」はご覧になられたでしょうか?
 今年の梅雨時に列島を震撼させたあの事件のホンの一端に過ぎませんが、番組を通じて何かを感じて、一人一人の心の中に大切なモノや人が想い描かれていればいいなぁと思います。以下は、私自身が番組を見た感想を掲載しています。

 結局、番組はリアルタイムで見た。日本シリーズの中継延長のせいもあって、定時より65分押しの20日27時55分(正確には21日の午前3時55分)からの放送だったが、何としても生で見ないといけないという、ある種の責任感のようなモノを感じていたからだ。


 番組冒頭の作りは、玲奈ちゃんだけじゃなくて、亡くなった児童全員と事件直後の映像の触りだけだった。あれは、各局が事件から一ヶ月後に夕方のニュース番組で報じた手法によく似ていたが、視聴者にもう一度事件の記憶を思い起こす意味で良かったと思う。
 起訴された宅間守被告については、ナレーションで固有名詞には触れていなかった。「一人の男」「あの男」というようにずっと一貫して形容詞で表現されていた。初登場となった本人立ち会いによる実況検分のシーンでも、あえて後頭部しか見せないカットと選んでいた。この番組の主旨は「あの男について」ではないと、いう作り手の主張だったんだろう。


 気になった点もいくつかあった。


 ひとつは、犯罪被害者の会の面々が訪問した際の母親のうつむいた表情。この他の部分にはデフォーカス(=映像のぼかしの事)がかかっていたのに、あのシーンだけ外されていた。ちょっと一瞬、ドキッとした。他にも、何カ所か後頭部から横顔が微妙に判別できそうな箇所があったが、プロデューサーと番組最高機構の確認により、あのレベルのぼかしで良しとなったんだと思うが、たとえ隠さなくていい程度であったとしても、個人的にはやはり全編を通じてぼかしかけておくべきだったんじゃないかと感じた。


 もうひとつは、学校が再開された新聞記事を母親が自宅で見た直後、突然感情が抑えられなくなった場面。あそこで机にすわってすぐに後頭部に寄ったりせずに我慢した、カメラマンの状況判断と勇気に拍手を送りたい。このシーンの1カット後ろに、あの時なぜあんな事をしてしまったのか、という場面の解説的な本人インタビューに繋がっていたので映像的なショックは少なくなっていたが、あそこはあんな短いカットではもったいないシーンだった。


 カメラマン心理を考えると、おそらくあのカットはあの後、じっくりと感情移入できる時間を作る意味を込めて引目の映像で溜めてからゆっくりと母親に寄っていっているはずだったと思うので、もっと長くカットを使うように引っ張れるだけ引っ張ってほしいシーンだった。


 最後の宇多田ヒカルの歌のくだり。母親の頬を落ちる一筋の涙。あの涙を見せるために、けっこう無理して強引にぼかしを小さくしてあった。あれも大丈夫だったんだろうか?
 しかし、VTR全体の、番組全体のバランスから見て、あれがあの場所に出てきたのは、非常に効果的だったと思う。その前でお決まりのスタッフロールスーパーを処理し切っていた点も〇(マル)。


 ただ、最後の玲奈ちゃんのホームビデオの映像は黒落ち(=全面黒の映像にオーバーラップさせる技術)にするんじゃなくて、スチル(=静止画)にして数秒溜めた方が効果が出たんじゃなかっただろうか。あと、本人の「ハイッ!」って声にもエコーやリバーブをかけてやれば、もっと印象に残ったんじゃなかったろうか。


 何にしても、見る人によってずいぶん捕らえ方の変わる番組になったんじゃないかと思う。訴えかけたいモノは何となく分かるけど、答えは無いという矛盾も理解しておかないといけない・・・。それにしても、この番組は決して再放送されることがなく、もう二度と世間の目に触れないのが惜しくてならない。