歴史認識の変遷で 8:45
今、奈良時代〜弥生時代に関するシリーズ番組を担当してる。その中で古墳時代が出てきたけど、昔、自分が習った内容が所々完全に書き換えられている事実を知った。新たな発掘調査や年代鑑定などで微調整されたり、外交との関係で記述が変わっていく教科書問題は知ってたけど、完全に“呼び名”が変わっている物があったとは・・・。
今の小中学生は、日本最大*1の古墳を“仁徳天皇陵”とは習わないそうだ。堺のあの地域を大仙(だいせん)*2と呼んだことから、“大仙古墳”と教えられるそうな。*3
これは、皇室記録の家系図で記述がある“初代から何人かの天皇”は「自分たちの存在が脈々と受け継がれてきた歴史のあるもの」という正当性を民に証明するため、何代目かの時点で後から書き加えられたということからだそうだ。過去からの出土物や、残されている古事記・日本書紀、また現代までの研究からそれが“通説”となり“実在していなかった天皇がいる*4”ということになったそうな。
それらの天皇の物とされた墓や古墳、出土物はその名前を当てていたため、今はその多くを天皇名ではない呼び方で教えているんだそうだ・・・まあ、宮内庁的には、記録が残ってる人物そのすべてが存在した、というスタンスのようだが、歴史を研究する考古学や学者の知見から前述のようになっているらしい。
へぇ〜、特に書物とか読んだことないし、調べたことも行ったこともないから、そんなの知らなかったなぁ。読み物などには、“大仙古墳(伝 仁徳天皇陵)”と載っているとか・・・。特に、ニュースの分野では慎重に扱われてるみたいだ。うっかり“仁徳天皇陵”とだけ表記したり発言したりすると、その存在を認める事になる、という恐れかららしいが。そんなショーモナイ事で“右寄り”なのか“左寄り”なのか、突っ込み入れてくる方がおかしいとは思うが(^-^;