kaichosanの日記

97~07年まで元Zaurusユーザーだった、フリーランスで流浪してる映像編集マンの雑多な日記です

 もう一度考えてみたけど 25:12

 風呂に入ってる間、さっきの番組を思い返してみたけど、やっぱり理解できん。


 メインキャストの俳優・森山○來が震災経験者だ、ってのはいいとして*1、視聴者をどこへ誘おう(いざなおう)としたのかが分からないんだよなぁ。番組冒頭の作りが割とシリアスに入ってて、とてもドキュメンタリーチックだったし、見てる方はもちろんソレを期待する訳で。・・・かと思ってたら、どうにもナレーションブースのシーンあたりから様子がおかしい。ここで、もう一人の俳優の存在に気付いてしまうと、そこから混乱が生じるんだよねぇ。


 この番組はフィクションなのか、ノンフィクションなのか、ドキュメンタリーなのか。作り手としては、番組を見ていく上で前提となるある程度のストーリーを設定して、その方向へ導くレールを用意して、そこから受け手に何かを感じてもらうメッセージをあちこちにちりばめるもんなんだけど、あの番組は「1.17」のドラマシーンを軸にして、あっちこっちシーンが飛ぶもんで、どこからがドキュメントでどこからがドラマなのか、一見して分からないのが一番やっかい。実際、横で見ていたオカンも「え?どういうこと? これ、ウソなん?ホンマなん?」って、15分ぐらいで完全に置いてけぼりになってたしな。


 映画のラストシーンで、「実は、この物語は、とある本に書き残された伝説でした」とか「実は、とある老人が語っていた内容でした」とかいう終わり方があるけど、最後の地震のシーンを深読みするにしても、「はい、これはフィクションでした」ってオチになるようなトーンの番組でもない。


 ホントに、ナレーション収録から内容を変更したのであれば、正直にそう見せるべきだし、最初から“フィクションありき”でやるんだったら、ちゃんとネタばらししてからやるべきだし。もし、あの最後のシーンが冒頭にあった上で、あの流れで見せてくれてれば、感じ方が変わってたのかもしれない。そうしてると、フィクションの中にドキュメントがあった、という読後感を味わえるから・・・。


 メインキャスト目的で見る視聴者には、それなりに何か伝わるのかもしれないけど、そうじゃない大部分の層にはあの手法で何が伝わったんだろうか? 被災後14年も経ち、震災を扱うアプローチとしては、かなり斬新な番組だったかもしれないけど、ちょっと狙い過ぎた感は否めないな。

*1:ファンの方には申し訳ないが。彼に何の落ち度もない。これは演出の問題。